昭和初期の創業より
和洋菓子店へ
▲ 創業時より使用する木型・細工べら |
御菓子司せきね(おかしつかさ せきね)は初代・芳藏によって、太平洋戦争の終結から間もない昭和二十六年に、現在の店舗位置である利島村柳生に創業されました。 初代は大正九年に栃木県安蘇郡佐野町(現・佐野市)にて創業された『佐野日進堂』の流れをくみ、当時足利銘仙(あしかがめいせん)などの織物業で栄えていた足利市で盛業していた菓子舗『足利日進堂』で修行し、製菓技術を習得しました。当時は丁稚奉公とよばれる旧来の徒弟制度が色濃く残る時代でありましたが、苦労しながらも日々の鍛錬を重ねていたそうです。 その後、二代目は日本で洋菓子文化が発展し始めた昭和四十年代、東京・銀座『月ヶ瀬』をはじめとして首都圏の各洋菓子店で技術を練磨したのち、家業を継承し洋菓子はもとより和洋折衷の銘菓を生み出しました。 また、三代目は江戸期明和八年に常陸国下妻藩(現・茨城県下妻市)にて創業された老舗『翁屋』での修行の後家業に就き、先代・先々代の技術を継承するとともに上生菓子や工芸菓子などの創作に携わっております。 今日もまた変わらずに、菓子の製造に携わることができるのも、お客様のおかげでございます。今後とも末永くお引き立て賜りますようお願い申し上げます。 |
- 沿革 – |
昭和10年頃 | 初代・芳藏が栃木・足利『日進堂』にて修行 | ||
昭和26年 (1951) |
初代が太平洋戦争から復員後、埼玉県利島村柳生(現・加須市)にて關根菓子店創業。 干菓子をはじめとする和菓子製造をはじめる。 |
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: | 季節の和生菓子をはじめ栗饅頭や最中、打ち物(落雁)など和菓子の拡充が図られる。 | ||
昭和40年代 | 2代目が東京・銀座『月ヶ瀬』をはじめ首都圏の洋菓子店で修業。 | ||
昭和54年 (1979) |
修行後、洋菓子技術を活かした洋生菓子・焼き菓子をはじめ和洋折衷菓を考案。 | ||
: | かぼちゃパイ『柳生そだち』や『羽衣』などの販売開始。 | ||
平成元年 (1989) |
島根県松江市にて三笠宮寛仁親王殿下を名誉総裁とする第21回全国菓子大博覧会開催。 かぼちゃパイ『柳生そだち』が金賞受賞。 |
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平成6年 (1994) |
石川県金沢市にて三笠宮寛仁親王殿下を名誉総裁とする第22回全国菓子大博覧会開催。 栗最中『大杉ばやし』が有功金賞受賞。 |
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平成24年 (2012) |
三代目が日本菓業振興会年間作品表彰にて 『 優秀技能賞 』受賞 |
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平成25年 (2013) |
日本菓業振興会年間作品表彰 『最優秀技能賞』受賞 |
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平成26年 (2014) |
日本菓業振興会年間作品表彰 『最優秀技能賞』連続受賞 |
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〃 | 第5回全国菓子研究団体連合会主催技術コンテスト開催。 盆景菓子部門『準グランプリ』受賞 |
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平成27年 (2015) |
全日本和菓子品評会開催。 工芸・盆景菓子部門『最高大賞』受賞 上生・引菓子部門 『文化大賞』受賞 |
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〃 | 埼玉県経営革新計画承認企業に認定 【経営革新計画テーマ】 『地場産米粉・果物を使った創作和・洋菓子と継承者による上生菓子の新商品展開および店舗改装による販路拡大』 |
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平成28年 (2016) |
創業六十五周年・新装開店 | ||
平成29年 (2017) |
三重県伊勢市にて三笠宮彬子女王殿下を名誉総裁とする第22回全国菓子大博覧会開催。 『優秀工芸賞』受賞 |
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〃 | 第8回全国菓子研究団体連合会主催技術コンテスト開催。 工芸菓子部門『グランプリ』受賞 |
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平成30年 (2018) |
第9回全国菓子研究団体連合会主催技術コンテスト開催。 工芸菓子部門『準グランプリ』受賞 |
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〃 | 全国和菓子協会より『選・和菓子職 優秀和菓子職』に認定。 | ||
令和2~3年 (2020-2021) |
【コロナ禍により各コンテストが中止】 | ||
令和4年 (2022) |
第11回全国菓子研究団体連合会主催技術コンテスト開催。 工芸菓子部門『金賞』受賞 |
CSR(企業の社会的責任)
への取り組み
当店の菓子製造販売業は日頃よりご利用いただくお客様や地域社会によって支えられてはじめて成り立つものであるということを念頭に、地域社会との共生こそが当社企業活動の最重要項目であると認識しております。 菓子作りを通じて日本文化・菓子文化を継承していくという社会貢献はもとより、地域・学校の社会科見学の受け入れなどを通してこれからの日本社会の担い手である子供たちに良い経験をしてもらえる機会を多く持っていただきたく思います。 家族で経営する小さなお店ですので出来ることは限られておりますが、事前にご相談いただければ店舗見学など受け入れることが可能ですので、当店の企業活動を子供たちの学習に活用なさりたいご希望等ございましたらお問い合わせ下さい。 2024年現在、加須市立北川辺西小学校の生徒さんの社会科見学・店舗見学を受け入れております。 |
故郷・加須・北川辺について
輪中の郷 加須市北川辺地域 |
当店のございます加須市北川辺地域の旧十カ村(本郷・前谷・駒場・向古河・柏戸・小野袋・柳生・麦倉・大曽・飯積)はかつては古河川辺領と呼ばれ、旧川を挟んだ伊賀袋村もまた同じく下総国古河藩に属しておりました。 北川辺地域は周囲を利根川や渡良瀬川など複数の河川に囲まれた輪中(わじゅう)と呼ばれる特異な土地であり、明確な記録に残っているだけでも、天明六(1786)年から昭和二十二(1947)年の百六十一年間に八十一回もの水害に見舞われた洪水の常襲地帯でした。 【写真】北川辺の恩人 田中正造翁 また、明治時代初期における足尾銅山鉱毒事件による鉱毒被害に悩まされた土地としても知られており、当初鉱毒物質の沈澱を目的とした旧利島村・川辺村(現在の北川辺地域)の強制廃村・遊水地化が計画されていましたが、先人たちの決死の努力と田中正造翁による明治天皇への直訴によって計画は撤回され、遊水地化から救われました。 そして今日では、重なる水害によって上流からもたらされた肥沃な土壌と先人の努力によって、夏には北川辺とまと『木甘坊(きかんぼう)』、秋には『北川辺こしひかり』が実り、一方で、水塚やあげ船といった治水の面影の残る、水と緑の溢れる豊かな土地になりました。 当店では昭和二十六年に創業して以来、愛着ある『輪中の郷 加須・北川辺』に想いを馳せながら菓子づくりに努めております。 |
特産品 北川辺 こしひかり 度重なる洪水によってもたらされた肥沃な大地のおかげで、当地で収穫されるお米はたいへん美味しく、埼玉県のブランド米となっています。 |
加須市 天然記念物 オニバス 埼玉県内では絶滅したとされていたオニバスが、平成5年頃かつての越中沼跡地から発見されました。 |
北川辺とまと ブランド 木甘坊 トマトのブランド化推進事業の指定を受けて以来、北川辺地域では甘くおいしいトマト『木甘坊』が生産され、人気を博しています。 |
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▼北川辺 こしひかり 〔加須市HP〕 |
▼オニバス 〔加須市HP〕 → オニバス自生地案内図 |